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【心理学】世にも恐ろしい実際にあった心理学の臨床実験3選!

「人はどれほど残酷になれるのか」サムネイル 心理

“道徳や倫理”というものは、現代においては幅広く認知されており、それを守るのはごく自然なことです。

しかし、過去にはそうした概念があまり一般的でなかったため、被験者を軽視した残虐な臨床実験が少なくありませんでした。

今回は、そんな中でも、「人の残虐性に関する心理学の臨床実験」を3つご紹介していきます!

臨床実験とは?

臨床実験をする医者

まずは、「臨床実験ってよく聞くけど、何のことか分からない」という方に向け、言葉の意味を簡単に説明します。

“臨床”は、”病床に臨む(のぞむ)”が語源で、元来は「実際に病人のもとへ出向いて診察・看病する」という意味を持つ言葉です。

そこから派生して「現場を重視する」という意味を持つようになり、①人の心に共感する、②検体や生体を分析するなどの意味も持つようになりました。

臨床心理学は①、臨床試験(実験)は②の意味で使われているので、混同しないように注意しましょう!

恐怖の心理学臨床実験3選

恐ろしい骸骨のイメージ

それでは、さっそく本題に入りましょう。

今回紹介する3つの実験は

  1. 被験者の精神的ダメージ
  2. 人間の残虐性

の2つの観点から見ていきます。

恐怖の心理学臨床実験3選:リトル・アルバート実験

眠っている,赤ちゃん

皆さんは「パブロフの犬」という実験のことをご存じでしょうか?

犬にエサを与える直前に”ベルを鳴らす”ことを繰り返すと、ベルの音を聞いただけで涎を垂らすようになるという、後天的な反射行動の獲得に関する有名な実験です。

これを人間の赤ちゃんで試すとどうなるのかというものが”リトル・アルバート実験”です。

1920年に行われたこの実験では、赤ちゃんが実験用のねずみを目にする度に、泣くまでハンマーで大音量を鳴らし続けるという、かなり非人道的な検証が行われました。

結果として、被験者である赤ちゃんは「ねずみを見ただけで泣き出すようになった」ため、人間においても後天的な反射行動の獲得は可能と分かったのですが、なにぶん倫理観に反する実験であったため、100年たった現在でも批判の多い実験の1つです。

恐怖の心理学臨床実験3選:ミルグラム実験

授業をする教授

“ミルグラム実験”は1962年に、「人は一定の条件下では、誰でも残虐行為を犯すものなのか」という趣旨のもと行われました。

実験は以下のように進められました。

集められた20~50代の男性を”教師役”とし、主催者が用意した(教師役にはその事実を伏せる)”生徒役”とペアを組ませまる。

生徒がミスをする度に、教師が電流を流すスイッチを押す。この時、実際には電流は流れておらず、生徒役は電流で苦しむ演技をする。

徐々に電流を上げていき、生徒の苦しみ方も尋常でない様子になっていく。

教師が実験中止を提案しても、白衣を着た主催者は「続けてください」「責任は我々が取ります」と毅然とした態度で答える。

実験の結果はどうだったのでしょうか?

この実験では、参加者の半数以上が事前に「死の危険がある」と聞かされた最大レベルの電流であってもボタンを押すという結果になり、説は立証されました。

実験の成果については多くの賞賛を得ましたが、倫理性の観点からかなりの批判を受ける結果となってしまいました。

恐怖の心理学臨床実験3選:監獄実験

拘置所の中の男性

「肩書は人を装置に変えるのか、人は権威に従うのか」

これらを確かめるべく、1971年にスタンフォード大学で行われたのが、”スタンフォード監獄実験”と呼ばれるもので、内容は以下のようなものです。

実験に集められた、心身ともに健康な21人のうち、11人を”看守役”、残りの10人を”囚人役”として分ける。

実験ではリアリティーを追求し、看守役はパトカーで囚人役を逮捕するところから始まり、囚人服や足枷も用意するなど徹底的に作りこまれていた。

主催側からの具体的な指示はほとんどなかったにもかかわらず、看守は囚人を独房に移動させたり、コンクリートの床で寝るよう指示する、裸にさせる、体罰を行うなどが行われた。

参加者たちの心境はどのようなものだったのでしょうか?

実際に監獄で牧師をしている人に参加者のカウンセリングをしてもらうと、参加者たちの精神状態は”監獄に入れられた囚人”のものと酷似しており、「実験にしてはやりすぎだ」と非難するほどだったそうです。

2週間を予定していた本実験は、わずか6日で中止に追い込まれるほど真に迫っており、参加者たちの精神的負担の観点から強く非難される結果となりました。

まとめ

実験の結果については賞賛されるものの、あまりにも倫理性を欠いたこれらの実験は、現代でも難色を示す人が多くなっています。

知識の探求・技術の進歩に犠牲はつきものですが、後腐れのないように、可能な限りそれを減らせるよう努力することが重要だと思います。

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